この研究では,感染症の広がりを「人のつながり」によって生じるネットワーク上の動的現象として捉え,数理モデルと計算によって理解することを目指してきました.インフルエンザや新型コロナの流行は,単に人口が多いかどうかではなく,「誰が,誰と,いつ接触するか」に強く依存します.本研究では,この点を情報科学的に扱うため,感染症をネットワーク上の拡散プロセスとしてモデル化しています.
なぜ感染症をネットワークで考えるのか
多くの基本的な感染症モデルでは,集団全体を平均化して扱います.しかし実際の社会では,
- 人によって接触頻度が大きく異なる
- クラスや職場など,接触構造に偏りがある
- 接触関係は時間とともに変化する
といった特徴があります.
そこで本研究では,人をノード,接触関係をリンクとするネットワークを用い,各個人が感染状態を持つモデルを使います.これは,グラフ理論やネットワーク科学といった情報科学の基礎的な考え方を,そのまま感染症問題に適用したものです.SISモデルやSIRモデル(下図)のような感染症伝播モデルを用いて研究を行います.


感染はいつ消えて,いつ残るのか
研究の中心的な問いは,
感染は最終的に自然に消えるのか,それとも社会の中に残り続けるのか
という点です.
数理的には,これはシステムの安定性の問題として扱えます.本研究では,感染率や回復率だけでなく,ネットワーク構造そのものが安定性に与える影響を解析しました.
その結果,ネットワークの固有値や行列構造を用いることで,感染が拡大するか抑えられるかの境界を理論的に評価できることを示しました.線形代数やシステム理論が,社会現象の解析に直接使われている点が特徴です.
時間によって何が変わるのか
現実の接触関係は固定ではありません.人の行動は時間とともに変わり,接触相手も入れ替わります.
そこで本研究では,時間とともに変化するネットワークや,複数の接触が同時に起こる状況も考慮しました.その結果,同じ人数,同じ平均接触回数であっても,時間構造の違いだけで感染の広がり方が大きく変わることが分かりました.
これは,静的なグラフだけを見ていては分からない現象であり,動的ネットワークを扱う情報科学的視点の重要性を示しています.
感染対策を制御問題として考える
本研究では,感染症対策を単なる経験的施策ではなく,制御・最適化問題として扱いました.
例えば,
- 誰に優先的に介入するべきか
- どの接触を減らすと効果が高いか
といった問題を,ネットワーク上の最適化として定式化しています.
ここでは,凸最適化や幾何計画法などの数理的手法を用い,限られた資源の中で感染拡大を抑制する方法を理論的に導きました.
この考え方は,後のネットワーク制御や群制御研究へと自然につながっています.
この研究の位置づけ
現在,研究室では群制御や複雑システムを主なテーマとしていますが,本研究はその基盤の一つに位置づけられます.
多数の要素が相互作用し,構造が全体の振る舞いを決め,局所的な介入が全体に影響を与える.こうした考え方は,感染症ネットワークでも,群ロボットや社会システムでも共通です.
この epidemics 研究は,「ネットワークをシステムとして捉え,数理と計算で理解・制御する」という研究室のスタイルを形作った初期の研究として整理できます.
興味を持った方はこちら
2020-03-26_BFIセミナー代表的な論文
1.Stability of SIS spreading processes in networks with non-Markovian transmission and recovery
M. Ogura and V. M. Preciado
IEEE Transactions on Control of Network Systems,2020.
https://doi.org/10.1109/TCNS.2019.2957569
感染と回復が指数分布に従わない非マルコフ的な状況を考慮し,ネットワーク上の感染症が消滅する条件を理論的に解析した論文です.現実的な時間依存感染過程を扱える数理的枠組みを示しています.
2.Optimal containment of epidemics over temporal activity-driven networks
M. Ogura,V. M. Preciado,and N. Masuda
SIAM Journal on Applied Mathematics,2019.
https://doi.org/10.1137/18M1204203
時間とともに人の接触関係が変化するネットワークを対象に,感染拡大を最小化する最適な介入戦略を導いた論文です.時間構造を明示的に考慮した感染症制御を数理的に定式化しています.
3.Event-triggered control for mitigating SIS spreading processes
K. Hashimoto,Y. Onoue,M. Ogura,and T. Ushio
Annual Reviews in Control,2021.
https://doi.org/10.1016/j.arcontrol.2021.08.006
感染症対策を「常に介入する」のではなく,「必要なときだけ介入する」イベント駆動型制御として整理した論文です.制御理論の視点から感染症問題を議論しています.
